クローズドルーム

Rorschach テストの結果を眺める精神科医は自分は「正常」であると信じて疑わないだろう。

「正常である」とは一体なんなんだろう。

無意識のうちにそれを判断した時、「平均」「平凡」なもの浮かべてしまいがちだ。

「常」という言葉にその意味合いが含まれているのかもしれない。大いなる人類の歴史の中で「常に」見られてきた行動を「正しく」擬えているか。そこが大切なのかもしれない。

しかし、この「常」ということを個人に当てはめてみたら、その人にとってはそれが日常なこともある。

「異常」であるということは、「発症」と同義なのかもしれない。

生まれた時から、社会的に異常であるひとは、自分を鏡に映して何を思うのだろう。

 

盲目の人のことを考えたことがある。

生まれた時から目が見えない人は、景色、色、物の形。その全てを一度も見たことがない(触ってわかるということはあるかもしれない)のに何をどうやって認識しているのだろう。

例えば人の「顔」なんて想像もつかないじゃないだろうか。そもそも人間は皆顔があるよという事実さえも。

海外のテレビ番組で目が見えないのに風景画が描ける人が出ていた。

「んなことあるわけないでしょ???」ってのが初めの感想だ。

目が見えないと、想像もできない知覚(所謂第六感?)が発達して認識出来るようになるだとかなんとか。

でもその人は後天的に目が見えなくなったのか先天的になのか。そこはよく見ていなかった。

先天的だとしたら、たとえ感じる力があっても、一度も見たことがない(そもそも見るという概念がない)人が、映像として外界を捉えることなんて一体全体どういうことなんだろう!!

本当に全てのことは「体験してないからわからない」で片付いてしまうことが多すぎる。

 

それと、目が見えないと「色」を認識したことをおそらくないだろう。そういう人は「色」ことを何だと思ってるんだろう。それと瞼の裏は一体どんな色が広がっているんだろう。教えて貰うにもその人にも何色なのかわからない。(後天的に見えない人に聞けばきっとわかることなんでしょうけどね)